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人間関係を築く上でのこの世の矛盾

世間では、「挨拶」ができないが雑談が上手な人の方が「挨拶」はきちんとできるが
雑談が苦手な人よりも親密な人間関係を築いているケースが散見されています。
このことを身内に話したところ、『絶対にそんなことはない!』と断言されましたが、
こういうケースが多いのは事実なようです。

私も、「挨拶」といった人とのつながりのための第一歩となる基本的なこともできない
人たちに親密な人間関係を築けるはずがないというのが確かな論理だとわかっています。

しかしながら、やはり世の中は矛盾が多くて すべてが論理に則した様にはならない
ようで、基本的なものを超えたコミュニケーションの技術が大きくものをいうことに
気づきました。
(決して「挨拶」がどうでもいいと述べているのではありませんので、その点は
誤解なきようお願い致します。当然「挨拶」は必要だが、人間関係を良くするには
「挨拶」以上に必要なものがあるということです。)

私の本音は、基本的な論理に沿わないこのような矛盾に少々憤りを感じることもあります。
私は、「挨拶」をきちんとしているのに雑談が苦手といったため仲間から浮いて
しまうことが多々あります。

いずれにしても少々納得がいかないながらも、このような矛盾ある世の中に適応して
いけるように、前回「発達障害にともなうコミュニケーション障害から脱したい」
といった題目のページをアップさせていただいた次第でした。
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発達障害にともなうコミュニケーション障害から脱したい

約3年3ヶ月ぶりにブログをアップします。

私の主なる障害は双極性障害Ⅱ型ですが同時に発達障害とも診断されています。
(発達障害が診断されたのは2009年後半)発達障害のなかにもいろんな症状が
ありますが、自分はとくにこの発達障害にともなったコミュニケーション障害に
対して非常に苦痛を感じています。

様態としては、最低限の挨拶もしくは仕事や作業など一定の役割に則した会話は
ほとんど問題ないのですが、そういった一定の役割を超えての話の提供力が
乏しいと同時に相手の言葉に対してどのような言葉で返せばいいかが浮かびにくい
(会話のキャッチボールの能力に乏しい)がため、会話がまったく弾まない・
沈黙が続く状態となってしまいます。

このため新しく出会った人々とのつながりがごく表面的なものにとどまってしまい、
親密な間柄を形成させることができなくて 寂しい思いをすることもあります。

また自分を含めた3人以上での特にユーモアや感性を交えた会話になると、ほとんど
自分だけが浮き上がってしまいます。この様態によって、それが心のストレス等に
つながってうつ症状やパニック症状、心身症を引き起こすこともあります。

周りの方々をみていると、いつも「なぜあんなに上手なコミュニケーションが
できるのだろう」と考えてしまうとともに感心させられます。

自分はこういった障害を持っていることを受け入れるとともに、世間の中で生きていく
以上は人とのコミュニケーションを欠かすことはできないことを肝に銘じて、
つらいこともあるとは思いますが、場数を増やす・訓練の場へ積極的に参加することで
少しずつ克服していきたいと思っています。

また、非常にあつかましいかもしれませんが、少しでもコミュニケーション力が
向上するためのヒントがありましたら、コメント欄に一筆いただけますと幸いです。

ステップアップが困難な現状に対して

5月の中旬ごろから少しずつ就労もしくは就労継続支援A型の事業所への入所に
向けた取り組みに着手しましたが、皮肉なことにその直後からかなり深い鬱状態
に陥ってしまい、その取り組みが即座にストップしてしまいました。
7月上旬ごろから だいぶん気分状態が回復してきてはいるものの、その回復が
いまだ十分とは言えず、また体力面の状態から鑑みると、しばらくは経過観察
および現状の環境の中でのリハビリをしていく必要があると考えました。

就労等に向けた取り組みに着手する段階において、ひどい『焦り』を感じていました。
睡眠の不安定、食欲の低下、情緒不安定など色々な症状が出ていました。
そしてその状態がもととなって深い鬱状態に陥ったようでした。
ですから「焦ることなく前向きに」をモットーとして取り組むことが必要だと
考えますが、どうしても発病して退職してから8年経ったことを考えると どうしても
強い焦りが生じてしまいます。もう一つは、自分の本音として発病前と同様に
働きながら独立した生活がしたい気持ちがあり、どうしてもそれを叶えたい思いが
強い焦りの大きな原因になっていると思います。

2006年の末までは、1年もすれば回復して十分就労は可能だろうとの
まだ明るめの兆しがありました。実際に就きたい職種・入りたい会社もハッキリ
していました。大阪のほうで働きながら独立したいという意思も固まっていました。
それが2007年の中旬ごろ急激に病状が悪化しその兆しがなくなってしまいました。
今よく振り返り直すと諸悪の根源はこの2007年の中旬の急な悪化だと考えています。
‘なぜ2007年の中旬にそれほどまでに悪化したのか?’そのきっかけ・原因が
今ひとつわかりません。ただ時折、理にかなっているか否かは別にして
「退職して自由な時間(悪い意味での)が増えて暇になったことが病状悪化に
つながったのか? それだったら退職せずに一旦休職にして復職したほうが
良かったのか?」とも考えることがあります。

『焦り』を100%消すことは不可能でしょうし、適度な『焦り』はむしろ必要でしょう。
しかし今回の自分のように過度になって逆にステップアップを困難なものに
してしまっている状態(ある意味において悪循環な状態)からは脱する必要が
あると思いました。
そのためには、思考や気持ちの切り替えをどういったものにすれば良いかと
いうことになりますが、まずはそのへんの認知的な学習をしっかり行って
ステップアップに向けた取り組みに再着手していきたいと思います。








身体症状の状態、治療の中でもう一つ大切なこと

2006年に精神疾患の発病以降、精神疾患にともなう身体面への症状が
頻発的に出てきています。とくに「鬱」の状態になったとき症状が
あらわれています。
とくに ここ近年の2012年から2013年末までの身体面の症状の
発生経過を振り返ってみると、例えば ある症状が生じて
しばらくして治まったと思うと また新しい症状が生じるような状態が
みられました。ただ表面的な症状が変化しているだけで、身体症状を
発生させる点自体においては十分には改善されていないと思えました。
今年に入ってからは、今のところ新しい症状はでておりませんが、
このままでは そのうち出てくるのではないか非常に心配です。
今までの治療のなかで、身体症状の発生に対する抜本的な策が弱かったと
思われ、今後その点を治療のなかで強化すべき問題と考えています。
「なぜ新しい症状が生じたのか?」等々原因をよく調べて、
これに沿った策を見いだしていくことが必要と思います。
(自己分析から、あくまでも表面的な原因は予想できていますが、もう一歩
掘り下げた深い部分での原因を調べる必要があるということです。)
一方で精神症状のほうは、総合的に見て、良し悪しの波がありながらも
明確な改善傾向にあると捉えています。
ですから、精神症状の良し悪しの問題とは別の観点による治療が必要と
予想します。
そして、一日も早く、身体症状の発生から解放され安定した身体を確実な
ものにしたいと思います。

あと、話が変わりますが・・・・・
治療において、薬物療法やカウンセリングのほかに適度な運動をすることも
必要といわれています。
数年前までは、ウォーキングをしたり 折をみて水泳に行ったり
適度な運動をしていましたが、ここ最近はほとんど運動らしい運動が
できていません。
このため悪循環的に体力が衰える一方になっています。
そこで、今後はまず自分のできる範囲から徐々に運動をしていき、
治療効果をさらにアップさせていくようにしたいと思います。
(ただし、(軽)躁状態にともなった感情任せの過激な運動はしないように
 したいと思います。これは逆効果ですので。)






最近改めて考え感じたこと

子供のころ学校などで、作文を書くことが苦痛でなりませんでした。
とくに、自分の生活や暮らしについての作文で、書くことが思いつかずに
苦しんでいたことを思い出します。
そういった状態に対して大人の方々から、このように指摘されました。
『書くことがないのは本当だろうか? 毎日の暮らしの中で感じたり
何かを見つけだしたり反省すること等々がないとは思えないが。』
そして自分でも少々振り返ってみました。
こういった指摘をもらい振り返りをするまでは、格好の良い自分の行動
だけを書くことばかりにとらわれており、自分の気持ちや考えを素直に
表現することを忘れていたようでした。
たしかに、自分は趣味も乏しく具体的な行動力にも乏しかったがために、
行動したことを格好良く書くことは困難だったかもしれません。
しかし人間として生まれてきた以上、乏しいながらも何かしら最小限の
行動はしているのです。
何も格好をつける必要などなくて、最小限の行動の結果から感じたこと
気づいたことなどをありのままに書けばよいと思えるようになったことで
書くことに苦痛を感じなくなりました。

ここから言えることとして、大切なのは表にあらわしている行動や
外面的な出来事だけではなくて、これらから何を感じ取れ また何を見出せ
あるいは何を振り返れるかでしょう。
そうでないと日々の事象は単なる通りいっぺんで終わってしまい、
主体性がない傍観者的になってしまって かつ本当の自分が見えないままに
なってしまうと考えます。
こういったことにキチンと気がついて、日々の暮らしの中で「感じる・
発見する・振り返る」ことの大切さがわかり人並みにできる大人になれて
良かったと思っています。
あとの課題は、その感じたこと、発見したこと、振り返ったこと 
それらを口頭で表現する力を高めて人々とのコミュニケーションを
豊富にしたいと思っています。
これは私にとってはかなり難解な問題ですが・・・・。







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