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人とのつながりの大切さと気づき

「人は生まれるときも、そして死ぬときも独りである所詮は孤独な生き物。
 だから人間関係は なるようになればいい。」

これは、発病後のある時期、人間関係の構築や維持がうまくいかずに
悩んでいたとき、ある人に相談した結果返ってきた文言です。

少なくとも私は、到底この文言を素直に受け入れることができませんでした。
そして今も同じくこの文言には抵抗を感じます。

そもそも、人間は自分独りの力だけで生まれてきているのではなく、
この世に新たな人を誕生させようとの決断をする生みの親の力、
さらにその生みの親を支える他者の力もあって生まれてきているのです。

「生まれる時」と「死ぬ時」との間である生涯をわたっていく途上においても、
山あり谷ありの厳しい人生のなかで、たしかに物事の最終的な決断は
自分独りでしなければならないことが多いと思いますが、
やはりその上でつながりある他者の支えがあってこそ
その様々な決断をした後の具体的な結果(目標達成や問題解決 等々)が
得られるのだと思います。
人間は他者に依存しきってしまってはいけません。しかし生身の人間として
感情や情緒を持っている以上、日々の暮らしの中で
つながりある者どうし 時には適度に依存しあうこと、適度お互いに癒し
あったりすることがないと生きていけない生き物だと思います。
さらに、人間である以上誰にでも欠点があります。
人とのつながりを充実させればさせるほど つながりを持った人々から
自分の至らないところを学べて自らを高めていくことができるのですが、
この冒頭に記した論理だけだとそれも不可能となって なんとも勿体ないことでしょう。

発病前の在職中、冒頭に記した論理に近い考え方を抱いておりまして、
人とのふれあいや共感などを半分以上置き去りにした生き方をしてきました。
いや、今よく考えてみると、そういった人交わりが苦手な真実に直面することから
避けるために、この偏った論理を口実にして仕事へ逃げ込んでいたのかもしれません。
‘仕事一途の仕事人間‘といえば聞こえは良いかもしれませんが、
私の場合単なる臆病者の逃げの一手にすぎなかったのかもしれません。
またそのことによって、ますます人交わりの能力を悪いものにしていたのでしょう。
そして、発病してどうしても仕事面が思うようにいかなくなったことで、
その『逃げ』が叶えられなくなって、いやでも人交わりが苦手な真実に
直面させられ 人間関係について悩み焦っているのが今の実態ではないかと思いました。

でも、経緯はどうであれ、在職中の臆病な『逃げ』を否定する考えが
身についたことと冒頭に記した論理に抵抗を感じられるようになった
ことは良かったと思っています。
(無論、発病したことは大きなマイナスですが・・・・・)

最後に・・・・
考え方や価値観は人それぞれであって、以上の私の主張が絶対的なものとは
言いません。あくまでも私個人の考え方と価値観にすぎません。






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今の本音と葛藤、および課題

ピースへ入って2年4ヶ月になりました。
この間を振り返ると、とくに2012年は体調が思わしくなかったがため欠勤が多かったこと、
また昨年の2013年は比較的体調が安定してきて出勤日も増えてきたとはいえ ピースでの
諸生活の軌道にもう一歩乗せられるように専念することで精一杯だったことから、
社会で働くことに向けた具体的な活動(例えば資格の習得、仕事探し 等)はできません
でした。

自分の体調の傾向としては、冬場に(軽)躁の状態となって その反動で春場から夏場に
かけて鬱による落ち込みが大きくなるものですが、この冬場は(軽)躁に状態化しそうに
なく それゆえにその反動の大きな鬱がおとずれる可能性も小さいことが 現時点予想
できている状態です。
もちろん冬場はまだ終わっていませんし、必ずしも鬱による落ち込みは反動的なもの
だけでなくて単極的に生じることもあります。また病状の出現傾向は従来に対し変化
することもあり得ます。ですから今後経過を観察していくことは必要ですが、
ある程度の安定のめどが確認できれば 就労に向けた活動に入らなければならないと
思っています。

しかし一方で働きに行くことへの不安と恐怖が大きいのです。
「職場の風土や空気に適応できないのではないか?」、「仕事がしっかり覚えられない、
できないのではないか?」、「職場の仲間とうまくチームワークが保持できないのでは
ないか?」など様々な強い不安を感じてしまいます。
不安を引き起こしている原因は当然長期のブランクによるものもありますが、
発病後比較的体調がやや良かった時期に障害をクローズにしてアルバイトに
行ったとき仕事と人間関係で不適応を起こし未練を残して退社することに
なってしまった経験が執拗な後遺症となっていることも大きいです。
「またあの時と同じことになるのではないか?」という不安と恐怖心が数年たった今に
おいても拭えない状態です。
「就労に向けた活動をしなければならない、早く就労しなければならない」といった
義務感や焦りと、それに反して前述の不安感により尻込みしてしまいそうな気持ちが
葛藤しています。
最近とくに夜になると、こういったことに悩み、イライラした気持ちにさいなまれる
ことが多いです。
また、このように尻込みしそうな弱い自分がイヤでなりません。
(発病前の在職中の前向きで自信に溢れていた自分の人格は全くといっていいほど
失われてしまいました。)

これは述べれば愚痴になりますが、発病前にハードな労働だったとはいえども折角
それなりに順調な仕事ができていたのに、発病してしまったがために明確な社会的
位置づけと自立的な立場を失ってしまったこと、および前述のような葛藤と悩みに
苛まれなければならないことが悔しくてなりません。

いずれにしても、いつかは社会復帰して就労していかなければ、そのうち生活して
いけなくなってしまいます。
ですから、前述の後遺症とそれによる不安感をしっかりと乗り越えていく必要があると
思います。
自分なりの長期にわたった分析からですが、アルバイトのときの出来事の原因の
ひとつとなったのがコミュニケーション力の乏しさによるものと推察しています。
よって、ピースへ通所しながら週一回通っているデイケアでの心理教育的プログラム
と数週間おきに通っているカウンセリングをしっかり活用して、まずは
コミュニケーション力のアップと 過去の問題による後遺症からの立ち直り、
不安感に翻弄されない精神力の養成を取り急ぎの課題としたく思います。
ただ、コミュニケーション力のアップの必要性については、以前から意識して
いましたがなかなか進展が少なく難しいようですし時間がかかる感じです。
ですから後者の後遺症からの立ち直りの治療、不安感に翻弄されない精神力の養成を
重点的に行って、逃げ腰的な自分の姿勢を直したいと思いました。
(この後遺症に対しては、単に『時が解決する』では済まされない何か別なる治療が
必要に違いないと予想します。)
そして、この課題を達成して就労に向けた活動に前向きに励んでいきたいと思います。













最近の自分と反省

最近、心身の調子は良い方であり、比較的安定しています。
しかし、その安定した状態を建設的に活かせていないように思えます。
もちろん少しでも早く働けるようになりたい気持ちはありますが、思いや気持ちだけで、
それに近づいていけるための努力ができていないように思えます。
とくにここ数週間 ただ何となく惰性的な日々を送っているだけで、日々の暮らしの中での
具体的な目的意識がどうも希薄だと思います。

自分のような疾患を抱えている人の場合、頑張りすぎは禁物といわれていますが、一方で
適度に頑張ることは必要といわれています。
少なくとも今の自分にはこの「適度な頑張り」が不十分な気がしてなりません。
以前は、PCの勉強をしたり、学生時代や在職中に学んだ専門についての勉強に取り組んで
いましたが、ここ最近ほとんどやっていない状態です。

こういう状態をあまりにも続けていると、自分の力量をさらに低下させてしまうだけでなく、
疾患の治療にもむしろマイナスの影響を及ぼしてしまうと思います。

また、こういった状態に比例して「楽しさ」を感じることも乏しくなっています。
「楽しさ」とは、決して惰性的な享楽からだけ生まれるものではなくて、日々の頑張りのなか
で得られる充実感に付随して生まれるものだということをしっかり認識して、
もう一度真剣に今の無気力気味な自分を見直して反省し、まずは自分なりに努力している
生活を取り戻したいと思います。
子供のころから、『おもしろくないとぼやかねばならないのは自分自身の頑張りが足りない
ために面白くないだけなのだ、勝手に自分で面白くないようにしているだけなのだ。』と
年長の方々から言われてきていましたが、まさにその通りだと感じています。







その後の状態

昨年(2012年)の10月まで うつ状態、軽度のパニックによる不調が続きましたが、
逆に12月へ入って軽躁状態になりました。
(軽)躁状態のさい最もあらわれやすい様態として、個人差がありますが自分の場合
『強度な目的意識と集中力』であり、寝食を大きく削ってでも定めた目的に向かって
集中・熱中して取り組むものですが、
(ちなみに前回の軽躁状態のさいには、PCに集中して 
パワーポイントで膨大な資料を作成しながらPCの学習に徹底していました。)
今回は『過度の楽観的な思考・感情、および強い享楽性』と 全く別のかたちとなって
あらわれました。
そのことで、「まあいいか」、「なんとかなるだろう」といった考えによって
本来あらわれてきていた強い目的意識や集中力が 逆に乏しくなっていました。
また、享楽面への自制力が欠如してしまったことも目的に向かった
強い取り組みを阻害していたようでした。
このように同じ(軽)躁状態でも、それに伴ってあらわれた様態は
’新規’といえるものでした。

前回のブログで申し上げましたように、2012年は、春頃より
発症時の2006年から経験のなかった新しい症状(パニック発作、強い悲しみ)
にさいなまれるようになりましたが、このように12月にも症状(軽躁状態)
に伴う様態として’新規’のものが生じました。

パニック発作と強い悲しみが新しくあらわれた根本的な原因は、
残念ながらまだ解明できていません。
(あくまでも表面的な原因はわかってますが・・・・。 その内容はここでは
伏せさせていただきます。)
しかし、このように立て続けに「新規」となるものが生じているなら、
よりいっそう力を入れての根本原因の解明が絶対条件と思いました。

なお、今年に入って軽躁状態がなくなり、この1カ月はごく普通の状態が続いています。
この比較的良いといえる現在の状態を、冷静な分析がすすめられる機会として、
上記の解明を図っていきたいと思います。






最近の調子、今後の治療への意識について

前回のブログで申し上げましたとおり、7月中旬頃から心身不調が断続的に頻発しており、
欠勤が増えていること、作業や学習における思考力や集中力が大きく低下している状況です。

一日も早くにこの状況から脱するために、診察に加えてカウンセリングを緊密に受けて
認知の修正療法を重点的に進めていますが、なかなか頑固な不調により 十分な改善には
まだ時間がかかる状態で、さらに経済的な事情によって 今までほど緊密にカウンセリング
を受けることが厳しくなっています。

私は勤務日を週3回としており 残り2日をデイケア通所というかたちをとっておりましたが、
7月以前の体調へ定着するまでの間(少なくとも1ヶ月半ぐらい)は、出勤日を週2回、
デイケア通所を週3回とさせていただき、デイケア通所の中でもう少し基本的なリハビリに
主力をおくとともに、緊密にカウンセリングを受けることが難しくなった分 デイケアの
スタッフさんと密にお会いしコミュニケーションをとっていくことで認知の修正治療に役立てて
いく方向とすることにいたしました。

一方で焦りの気持ちもあります。
将来働くのなら、何をして働くにしても 少なくとも作業所勤務ぐらいは基本的に週5回できる
ようにならねばならないというふうに考えていますが、とにかく心身自体が上記のような
方法をとらざるを得ない状況です。
ですから、今後頻度を下げながらに受けるカウンセリング、デイケアのスタッフさんとの
コミュニケーション一つ一つを効果的な質あるものにするには、「自分の心理的な悩みや
苦悶等」において表面的なものではなくて根源的なものを、あくまで自力での自己分析
によって常に明確にしておくことが必要と考えました。
人は得てして心理的な助力を求める際に表面的な感情をもとにしてしまうことが多いと
思いますが、そうではなくてこの表面的な感情を引き起すに至っている自分の考え方
や行動、あるいは自分を取り巻く環境などをできるだけ明確にとらえておいて、それを
もとにすることが必要と思います。
そのへんを心がけて認知の修正治療を強化していきたいと思っています。


また、最近はほぼおさまってきましたが 今年は「パニック発作」と「強い悲しみ」にさいなまれる
という、発症した2006年以来に経験したことがない新しい症状に苦しむことになってしまい
ました。
発症後から自分なりに地道な治療を続けてきたのに、ここへきて新しい症状に苦しむことに
なったことへの絶望感を感じていました。
しかし、なぜこれらの新しい症状が生じたかをハッキリさせることが大切であって、
まずは、治療を行う中でこれらを早急に突き詰めていくことも重要と考えています。















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