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気づいたこと

前回のブログ「病気によって変わった自分」の補足になるかもしれませんが、
前回のブログで申し上げましたとおり、発症前の数年間(地方で在職中)は、
厳つく・冷たく・頑迷な人柄で偏った生き方をしてきて、
その反動による心の飢餓感と充足の欲求にともない、
・『人に嫌われるのが怖い』、『孤立したらどうしよう』、『人を不快にさせていないか?』
 などといった過剰な思い。
・『人とうまくコミュニケーションができない(とくにユーモアを交えた世間話や雑談が
苦手)なことによって、人間関係の構築や継続の面でマイナスを引き起こしている』
という過剰な焦燥感と自己嫌悪。
・悲しみの感情
これらに陥ってしまうことがあります。

とくに最近これらの思いや感情がいささか強くなっており、心身疲労に至っている状態です。
(この状態は、前回のブログで申し上げましたとおり、受け入れて乗り越えていくべきもの
ですが、乗り越えるひとつの手段として、認知療法に力を入れ これらの感情のコントロールおよびコミュ二ケーション練習を行っています。)


しかし、これは誰のせいでもなく、自分の責任ととらえています。
つまり、「身から出た錆」だということです。


たしかに、企業で厳しい労働をしていると、その仕事をこなすことや 仕事での成果を
第一に追求する方向になりがちです。
でも、それに固執し一本化するだけではなく、一人では生きていけない生身の人間として
人とのふれあい、支えあい、付き合いを大切にするための心がけも適切に意識することで、ある程度に調和をもった生き方をしたほうがよい、いや そうすべきなのです。

私の場合、そういった調和への意識がほとんどありませんでした。
仕事への完璧主義を通す生き方だけを意識し 人の心への度量に欠けた強い偏見的な
価値観を自分に植え付けてしまっていたのだと思います。
(少なくとも、勤めていた会社の社員の中では その特徴が顕著でしたし、実際に先輩
同僚から指摘されたことが何度もありました。 その指摘をも はじき飛ばしていましたが・・・・・)

つまり、
《自分は、愚かにも そういった調和の精神の大切さに無知であったがため
結果的に心がけを怠っていただけ。 単にそのツケが最近になって回ってきただけだ。》
ということに気づいたわけです。

ほんとうに そういった意味で、人間というものは うまい具合に出来上がっており、
人間が人生のなかで心のエネルギーを傾ける方向というものには、決して近視眼的な目
ではなく長い目でみると、大差がないということに気づき反省させられました。

この今回気づいたことを、今後生きていくうえでの認識の材料にしていきたいと思います。





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